大谷光瑞関連エントリー

大谷光瑞師を訪ねる

本日は、志摩組仏教婦人会一日研修旅行。大分は別府まで、担当住職として行ってきた。 今年は本願寺22代門主大谷光瑞師を知ろうというテーマで実施。総勢78名が参加。 まず本願寺別府別院にある大谷記念館の副館長をしてらっしゃるK月師の自坊 ...

大谷光瑞師を訪ねる

北御堂の歴史と大谷光瑞

... 仏蹟の発掘調査に当たった大谷探検隊の隊長、大谷光瑞は西本願寺の第22世門主で法名は鏡如という。 大谷光瑞は海外伝道も積極的に進め、1913年に孫文と会見したのを機に、孫文が率いていた中華民国政府の最高顧問に就任するという行動的な性格を持っ ...

北御堂の歴史と大谷光瑞

ラサ・チベット大学へ日本語テキスト寄贈、東北弁を習うチベ ...

... しかし、さすがに大谷光瑞をはじめ、地元の京都人と話すときには苦労したらしい。 以下、『チベット滞在記』(多田等観;白水社)より抜粋: 「ツァワ・ティトゥーが大谷光瑞師とはじめて会見するとになり、日ごろ私の教えておいた日本語で ...

ラサ・チベット大学へ日本語テキスト寄贈、東北弁を習うチベ ...

禅宗と《第6次元》とアート【1】

... 大谷 光瑞( おおたに こうずい 1876~1948年)です。 釈宗演は1860~1919年ですので、 年代的には、16歳ちがいます。 釈宗演( しゃく そうえん ) の顔 大谷 光瑞( おおたに こうずい )の顔 《想像界》の眼で ...

禅宗と《第6次元》とアート【1】

千年の時空を越えて

... 明治36年 本願寺須磨月見山別邸(大谷光瑞、33,000坪) モダンな洋風建築(テニスコート、八角形温室、花壇ほか) とあり別荘であったことが分かる。 明治41年 武庫離宮設置決定 明治45年 離宮造営に ...

千年の時空を越えて

大谷光瑞とは?

大谷 光瑞(おおたに こうずい、1876年(明治9年)12月27日-1948年(昭和23年)10月5日)は日本の宗教家、探検家。明治後期から大正にかけての浄土真宗本願寺派の第22世門主。伯爵。光瑞は諱で、法名は鏡如。
第21世門主光尊(法名明如)の長男として誕生。幼名は峻麿。貞明皇后の姉九条籌子と結婚。
1902年8月、教団活動の一環として西域探検のためインドに渡り、仏蹟の発掘調査に当たった。途中、1903年1月に父・光尊が死去し、門主を継職するため帰国したが、探検・調査活動は1904年まで続けられた。これがいわゆる大谷探検隊(第1次)である。門主継職後も探検を続行させ、1914年まで計3回にわたる発掘調査等が実施された。

大谷光瑞の詳細